構成テンプレートは「道路」だ。
道路がなければ人は迷う。でも道路しかない街には、誰も住みたくない。——これ、記事の構成テンプレートの話とまったく同じなんだよね。
Writers-hubで私がやっている仕事のひとつに「ライターに渡す構成テンプレートの設計」がある。テーマごとに記事の骨格を作って、誰が書いても一定の品質が出るようにする仕事だ。で、この「一定の品質」の設定が本当に難しい。
テンプレートを厳密にしすぎると、10本の記事が全部同じ顔になる。逆に緩くしすぎると、品質のバラつきがひどくて結局全部手直しすることになる。つまり、3ヶ月前の私です。「自由に書いてください」と渡して、返ってきた原稿を見て頭を抱えた経験がある人。あるいは「この通りに書いてください」と渡して、量産される金太郎飴みたいな記事にうんざりしている人。
この記事では、テンプレートの「固定すべき部分」と「自由にすべき部分」の切り分け方を、実例つきで書く。
「70点」を基準にする理由
ここ、最初に言い切っておく。
テンプレートの目標は70点の記事を安定して出すことであって、100点の記事を目指すことじゃない。
100点を目指すテンプレートを作ろうとすると、ライターの個性や判断を入れる余地がなくなる。文字数、見出しの数、各段落の論理展開、CTA の位置——全部を指定した結果どうなるかというと、テンプレートを埋める「作業」になる。ライターが考えなくなる。考えないから、読者にも響かない。
米山さんがよく言う。「70点を仕組みで担保して、残り30点は書く人の判断に任せる」。
この30点の余白が、記事ごとの個性になる。具体例の選び方、語り口、読者への問いかけ方——テンプレートでは規定できない部分に、書き手の価値が出る。逆に言えば、70点の部分は「お願い」じゃなくて「仕組み」で守る。ここを属人的にしたら崩壊する。
「全部テンプレートで管理すれば品質が安定する」と思いたい気持ちはわかる。でも実際にやってみると、「品質が安定する」と「全部同じになる」は紙一重だった。
固定する部分と自由にする部分の切り分け
テンプレート設計はレイヤー分離だ。フロントエンドでいう「レイアウト」と「コンテンツ」を分けるのと同じ考え方。
固定するもの(=構造レイヤー)
見出し階層の型:H2 → H3 の親子関係、H2の数の目安
リード文の役割:「誰の、何の悩みに、どう答える記事か」を3行以内で宣言する
CTAの位置と形式:記事末尾に必ず置く。文言のパターンは3種から選択
E-E-A-T要素の挿入位置:「誰が書いているか」を示すパートをどこに入れるか
これらは「記事として最低限機能するために必要な骨格」であって、ライターの創造性が入る余地がそもそもない。ここを自由にする意味がない。
自由にするもの(=表現レイヤー)
具体例の選定:同じ論点でも、どの事例で説明するかは書き手に委ねる
導入の切り口:問いかけ型、エピソード型、データ提示型——入り口は書き手が選ぶ
段落内の論理展開:H3の中身をどう組み立てるかは自由
語尾・トーン:メディアの基本トーンは守りつつ、個人の文体は許容する
ここが自由であることで、同じテンプレートから書かれた記事でも「読んだ感じ」が変わる。
実際のテンプレート構造
これ、知らない人が多い。テンプレートって「見出しの一覧」だと思っている人がいるけど、それだと機能しない。見出しだけ渡しても、各セクションで何を書くかがブレる。
私がライターに渡しているテンプレートはこういう構造になっている。
## [H2見出し案:キーワードを含める]
【このセクションの役割】
- 読者の疑問「〇〇って何?」に答えるパート
- ゴール:読了後に読者が〇〇を一言で説明できる状態
【固定要素】
- 定義を最初の2文で述べる
- 公的機関や一次ソースからの引用を1つ以上含める
【自由要素】
- 具体例の選択は書き手に委ねる
- 導入の切り口は自由(ただし3文以内で本題に入る)
【NGパターン】
- 「〇〇とは△△です」だけで終わる一文定義
- Wikipediaの丸写し
【参考文字数】300-500字ポイントは「セクションの役割」と「NGパターン」を明示していること。何を書くかは指定するけど、どう書くかは指定しない。そして「こう書いたらダメ」を具体的に見せることで、品質の下限を引き上げる。
(まあ、ここまで丁寧にテンプレート作ると「テンプレート作る方が記事書くより時間かかるじゃん」と言われることもある。言われる。でもテンプレートは1回作れば10本使えるから、トータルでは確実に勝つ)
テンプレートが壊れた話
ここからが本題かもしれない。
以前、ある案件でかなり精密なテンプレートを作ったことがある。各H2の文字数指定、H3の数の指定、使用する接続詞のリストまで入れた。完璧だと思った。
結果、ライター3人が納品した記事が、本当に——本当にそっくりだった。見出しを隠したら誰が書いたか区別がつかない。クライアントに「これ、AIで量産してません?」と聞かれた。してない。人間3人が書いてこれ。
何が起きたか。テンプレートが詳細すぎて、ライターが「テンプレートの指示を満たすこと」をゴールにしてしまった。読者のことを考える余白がなかった。
この失敗から学んだのは、テンプレートに書いていいのは「What(何を書くか)」と「Why(なぜそれを書くか)」だけで、「How(どう書くか)」は書いちゃいけないということ。
悪い例と良い例を並べるとこうなる。
悪い例(How まで指定):
- 最初に定義を述べ、次に具体例を2つ挙げ、最後にまとめの1文で締める
- 接続詞は「まず」「次に」「最後に」を使う良い例(What と Why だけ):
- このセクションで読者が理解すべきこと:〇〇の定義と実務での使われ方
- なぜこのセクションが必要か:次のH2で応用を語るための前提知識How を指定した瞬間、書き手はテンプレートの「実行者」になる。What と Why だけなら、書き手は「判断者」のままでいられる。
テンプレートの改善サイクル
テンプレートは作って終わりじゃない。これ、めちゃくちゃ大事。
私がやっている改善サイクルはこう。
初版を3人に渡して書いてもらう——1人じゃダメ。1人だと「この人の能力の問題」なのか「テンプレートの問題」なのか切り分けられない
3本の原稿で「同じところで同じミスが起きている箇所」を探す——それはテンプレートの指示が不十分な証拠
逆に「3本とも似すぎている箇所」も探す——それはテンプレートが過剰に規定している証拠
NGパターンを追記して改訂する——「こう書いてね」を増やすより「こう書かないでね」を増やす方が効く
特に4番目。人は「こうしてください」より「これはやめてください」の方が守れる。抽象的なガイドライン10個より、具体的なNGパターン3個の方が品質に効く。
テンプレートと「属人化」の境界線
最後にひとつ、テンプレートを作る側として正直に言っておく。
テンプレートで担保できるのは「構造の品質」であって「文章の品質」じゃない。H2の配置が適切で、各セクションの役割が明確で、NGパターンを避けている——それでも、読んで面白いかどうかは書き手次第。
「テンプレートがあれば誰でも書ける」は半分嘘で、正確には「テンプレートがあれば誰でも構造的に破綻しない記事を書ける」だ。そこから先——読者が「ふーん」で終わるか「なるほど」と思うかの差は、30点の余白にかかっている。
つまりこういうことだ。テンプレートは「下限」を引き上げる仕組みであって、「上限」を引き上げる仕組みじゃない。
上限を引き上げたいなら、テンプレートを精密にするんじゃなくて、書き手を育てる方が正しい。テンプレートに全部詰め込もうとするのは、「仕組みで解決したい」という気持ちの暴走だ(……私も何度かやった。やったから言える)。
まずは、今使っている構成テンプレートの各セクションに「このセクションの役割」と「NGパターン」を足すところから始めてみるのがいい。それだけで、戻ってくる原稿の品質は体感で変わる。テンプレートの文字数を倍にするより、NGパターンを3つ追加する方が、ずっと効果がある。
全部のテンプレートを一気に作り直す必要はない。次に発注する1本分だけ試せばいい。3本出揃った頃には、自分なりの「固定と自由の境界線」が見えてくるはずだから。

